自民党改憲勢力が声高に主張する「GHQの押しつけ憲法」という大変幼稚な見解に対する反駁
第1話 父の話
 すでに重度の認知症になり、息子の私が誰であるがわからなくなってしまった父の認知症に最初に気がついたのは、今から10年前である。寡黙であった父が、その日は大変上機嫌で私と妻に語り続けた。午後6時頃から飲み始めて、もう寝ようとなったのが午後11時頃であったから、約5時間にわたり父は語り続けた。しかし、一通り語り終わると最初からまた語り始めるのである。いかにも今初めて語るように。私も酔っていて、同じ話を30回ぐらい聞かされていたと思っていたが、7,8年後ぐらいに授業が始まって10分ぐらいたってから脱線して、父から聞いた話を話し始めたら、まだ話は途中であったのに、チャイムが鳴ってしまったのである。酔っていたし、年数も7,8年たっており当然かなり記憶から抜け落ちている部分もたくさんあったはずなのであるが、それでも40分も話の内容があったことになる。
 だから、30回も同じ話を聞いたというのは私のオーバーな印象である。しかし、10年前の1日が私に様々な認識をもたらした。それまで家族の誰も気がつかなかったが、父は家庭内孤立・家族内孤立をしていたのだ。料理人であった父は、職人気質で、無口で頑固である・・・これが家族の父に抱いていたイメージである。いつも一人、家族が談笑しているときにも、別の机に座り一人で黙々と電卓をたたいたり、コーヒーを飲んでいたりした。無口な父は、一人でいることが好きなのであると家族の誰もが思っていた。10年前のこの日になぜ父が、上機嫌になり饒舌になったのか。それは、たまたま母が風邪を引いて、3階に上がり寝てしまったからなのである。父は、本当は家族と一緒にいたかったし、家族と談笑したかったのである。しかし、常に母によって自分の居場所を奪われていた。一人でいることが好きなのではなく、孤立していたのである。母がいないという絶好の機会を生かし、父は語り続けたのである。
 実際には、7,8回程度であったのであろうが、同じ話を繰り返したことによって、父が認知症であることを悟った。父が主役になる千載一遇のチャンスが、認知症の始まりであったことは皮肉である。そのときに得られた戦時中の生々とした情報がなければ、今書いている論文もなかったであろう。当時の新聞やラジオによって、ほとんどの国民はマインドコントロールされ、軍国主義的考え方に染まっていたという歴史像に疑問を抱くこともなかったであろう。
 いくつか転々としたのであろうが、父は陸軍の下田の保養所にいた。そして、まかないの仕事を希望するものはいるか、という上官の質問に、父は自分から手を上げた。これが父の調理人の始まりであるのか、それともすでに調理人の心得があって、手を上げたのかは、重度の認知症になってしまっている現在確かめるすべはない。
 父の話によれば、下田の保養所にはなんでもあったという。高級ワイン、ステーキなどだ。国民が疲弊し困窮して、米さえ食べられない時期に、陸軍のお偉方は贅沢三昧をしていたわけだ。そして、まかないを任されていた父も食べるのには苦労したことがないそうだ。時々郷里の者が、噂を聞き食べ物を分けてくれと言ってきたという。軍は、国民を守る考えは最初からないのである。沖縄でも姫百合を残して最初に遁走したのは陸軍である。国民が飢えているときにも、軍のお偉方は芸者を侍らせ豪遊していたのである。
 下田からは、陸軍の所有する潜水艦も、中国大陸に向けて出航していた。この潜水艦は一切火気を積んではいなかったという。任務はただ一つ中国大陸などに、食料や治療薬を運搬することである。しかし、その潜水艦は戻ってくることはなかったし、陸軍の下等兵であっても、アメリカによって沈められてしまっていることは、わかっていたのだという。父のような、位の一番低い人でも戦況が大変芳しくないことはわかっていたというのだ。
 さらに、父はこんな話もしている。前後はわからないが、旋盤の仕事をしていた時期もあった。日本製のものは、刃がすぐにだめになってしまうが、ドイツ製やアメリカ製はかなり使い続けても高性能を発揮し続けたそうだ。小学校しか出ていない父でも、このような体験から、アメリカに勝てるわけないと認識していたわけだ。
 情報統制によって、日本は勝ち続けていた・・・そして、これを国民は信じていたことになっている。事実は違うのだ。うすうすであるが、戦況が大変厳しいことをほとんどの国民はわかっていたのである。後に戦中に書かれた日記を紹介していくことになるが、批判的な見解を持っていた一般民衆がたくさんいたのである。「B29が来たときに、騙されていた、日本は勝ってなどいない、と思った。」という証言もある。小学生や中学生ぐらいでさえ、報道が真実でないことを知っていたのである。
 確かに、国民は軍国主義的な考え方に染まり、軍国主義を鼓舞してさえいた。しかし、それは意識の表層であり、意識の底にはファシズム批判や民主主義的な考え方が流れていたのである。でなければ、一夜にして一億総懺悔になったことの説明がつかない。
 明治初期の段階において、植木枝盛はすでに国民主権と実質象徴天皇制を主張している。自由民権運動は、一部の先進的な知識人だけでなく、一般国民に大きな影響を与えていたのである。私の後の諸論述は、これを証明していくであろう。そして、植木枝盛は憲法研究会の鈴木安蔵や高野岩三郎などに直接の影響を与えていたのである。アメリカは、1942年の段階ですでに日本では無名の学者であり、植木枝盛を研究している鈴木安蔵に注目している。アメリカは、日本の歴史や現状を大変深く研究していたし、知っていたのである。なぜファシズム化し軍部が独走したのかを詳細に分析していたのである。だからこそ占領政策がスムーズにいったのである。日本には萌芽にはすぎないが、すでに民主主義的考え方が一般国民に強い影響を与えつつあることをアメリカは十分に認識していて、占領政策に活かしたのである。

はじめに



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