決意宣言 2016年9月起草
 私は、今何をすべきなのであろうか。研究したいテーマがありすぎだ。ざっと考えても30は下らない。素数の性質、素数判定の効率的なプログラム開発、完全数探索、社会科学の方法、弁証法究明、現象学と解釈学の関係・・・といった大きなテーマから読書感想文の書き方、小論文の書き方に関する本を書き上げることといった実践的なテーマもある。このうちの10個以上のテーマはライフテーマに値するし、さらにそのうちのいくつかのテーマは、人生が10回以上あったとしても、端緒に触れるだけで終わってしまうだろう。私に残された時間は、多く見積もったとしても20年はないであろう。
 ITエンジニアの不足が予想されている状況下で、世界各国でプログラミングが必修化されつつある。アメリカ・イギリス・フィンランド・エストニア・シンガポール等々だ。そして、2020年から日本でも小学校で必修化される。スマートフォンやタブレットが生活の隅々まで入り込み、IT機器やネットなしの生活は考えられない時代であるから、当然の流れといえる。
 大変に不思議なことであるが、私のプログラミング講義は、どの言語でも始める度に、Googleにおいてトップないしは上位にランクされてしまう。特に、VC++はダントツのトップであるし、VBも様々な検索項目でトップを独占している。Eclipse C++やExcel 2016 VBAの講義ににおいてもトップを独占している。Javaでも上位であるし、やがて始めたばかりのRuby入門もトップに上り詰めるであろう。情報の免許を持っているとはいえ、一高校教諭にすぎない私のサイトがなぜトップないしは上位にランクされてしまうのであろうか。プログラミングのサイトといえば、どの言語でもプロのプログラマーや大学教授そして出版社などが何万という単位の入門講義を公開している。素人の私の入門サイトがプロのプログラマーや大学教授を抑えて、トップや上位にランキングされてしまうのは、驚異としか言い様がない。何の取り柄もない私であるが、ひょっとするとプログラミングの入門講義だけは才能があるのだろうか。
 プログラミングの能力の育成とプログラミング自体が、現時点において社会から強く要請されていることは、疑う余地のないところである。したがって、各種・各言語のプログラミングの講義を続けたいという気持ちはある。しかし、続けることに大きな疑念を感じている。プログラマーを養成していけば、間違いなくAI=人工知能は発展していくであろう。近い将来に、完全自動運転カーは実用化されるであろうし、現時点でもほぼAIだけで運営しているホテルとレストランが存在している。100年という長いスパンで考えれば、人工知能は人類を幸せにしていくであろう。人工知能が普及した未来においては、人類は労苦から解放されるであろう。労働はすべてAIやロボットに任せて、人は自分の趣味のみに生きる時代が確実に到来するのである。
 だが、人類がAIを使いこなせるようになるまでの期間が問題だ。ここ20年でAIは700有余ある職種の半分を奪ってしまうといわれている。私の教え子に、東大の大学院まで行きながら、40代後半にして未だに生活が成り立っていない男がいる。優秀な彼が選んだ職種が問題だったのだ。彼は、翻訳家になった。だが、実用的な文書は機械翻訳に翻弄されている。翻訳家といえば、憧れの職種の1つであった。それがAIにやられている。公認会計士などの職種は確実にAIに奪われるし、弁護士の仕事でさえビッグデータを処理できるAIの方が、勝利に導く戦略を容易に立てるに違いないのである。
 AIが作曲をした曲と有名な作曲家2人が作曲した曲との合計3曲の中から、作曲者を伏せてどれが一番感動したかというアンケートを採ったら、なんとAIが作曲した曲を選んだ人が1番多かったという。人間にしかできないと思われていた作曲をAIがやり、それが人を感動させる。心のないコンピュータには人を感動させる音楽は絶対に不可能であると考えられていたが、皮肉にも違う結果を導いた。
 大変残念なことであるが、職人の仕事は近い将来奪われてしまう。自動車を作る工程において、職人の勘は欠かすことのできないものであったし、いかに継承するかが問題であったが、方程式の方が職人の勘より、より高いレベルで仕事をしてしまうのである。職人の技を引き継ぐことの困難性はあっさり解消されようとしている。方程式を作りデータを打ち込みば、済んでしまうのだ。
 将来的には、小説でさえ人工知能は書けるようになると考えられている。専門研究所の予想によれば、医師や介護福祉士などは最も奪われない職種のランキング上位に入っている。教員もそうである。理由は、AIには心がないからである。しかし、心のないコンピュータが人を感動させる曲を作曲してしまうのである。現時点でさえ、認知症を患っている高齢者の話し相手になっているロボットがいて、認知症を緩和するのに貢献しているという。心があるないは、おそらく関係がない。であるから、専門機関の予想であっても当てにはならない。
 ここ20年間でAIは多くの人の仕事を奪ってしまう。多くの人が路頭に迷う。人類は愚かではない。世界史を見れば、新しい技術にも対応してきた。だから、将来的には人類は自分たちの幸せのためにAIを使いこなせるようになることは、明らかである。だが、過渡期が問題だ。人類史が、AIに適応するまで、様々な摩擦が引き起こされる。過渡期においてどれだけ多くの人を不幸にするであろうかは、計り知れない。多くの人を不幸に導くであろうAIの開発に結びつくプログラミング講義をためらう理由だ。
 ならば、何をすべきなのであろうか。
 現在、日本は戦後最大の危機を迎えている。安倍晋三という悪魔によって。現閣僚の8割が極右翼団代の日本会議に属している。日本会議が目指しているのは、復権である。改憲ではなく、本当の憲法である明治憲法に戻ること、が目標であるという。自民党改憲草案も復古調であり新自由主義であると言われる。明治憲法へ回帰であるとされる。だが、事実は違う。自民党改憲草案なら、明治憲法の方が遙かにまともである。明治憲法は、明確に立憲主義を謳っている。本来の立憲主義は、権力の暴走を防ぐために、憲法で権力を縛るということである。だが、改憲草案は憲法を国民に対する命令書であると考えている。日本国憲法は、3つの義務=納税の義務・勤労の義務・子息に教育を受けさせる義務を定めているが、この義務規定は、いかなる国家であろうと成立する当たり前の規定をいっているにすぎない。国家や歴史を超えて成り立つ超歴史的にして普遍的な規定を述べているにすぎない。この当たり前の義務規定を除けば、日本国憲法は、国民に対して何の命令もしていない。憲法厳守が命じられているのは、国民ではなく権力者である。第97条には、「天皇又は摂政及び、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定されている。憲法に縛られるのは、国民ではなく権力を運用する人たちなのである。権力は、暴走する、乱用される、これは歴史が示す真実である。だから、権力の濫用を防ぐために憲法がある。権力が暴走しないように憲法で権力を縛る、これこそが歴史の歩んできた道であり、立憲主義の考え方なのだ。だが、自民党の改憲派の人たちは、根本から誤って認識している。自民党改憲派にとっては、憲法とは国民が守らなければならない義務規定であり、国民に対する命令書なのである。
 自民党改憲草案を読んでほしい。この草案は、日本国憲法の核心=魂といえる2つの重要なタームを削っている。削られた言葉は、「個人」と「公共の福祉」である。それぞれは、「人」と「公益」に変わっている。先ほど、明治憲法への復古という考えは間違っていると述べた。正しくは、明治憲法への回帰ではなく、ファシズムへの回帰である。国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の日本国憲法の3大原理を否定して、個人より国益を優先している。
 日本国憲法のいう個人とは何か。そして、草案で人と書き換えた意図は何なのか。民主主義の最大原則は、個々人を尊重することである。人が違えば考えや価値観も違うし、好みや趣味も違う。しかし、どんな宗教を信じていようと、いかなる価値観を持っていても、個人として尊重する−−−これが人権尊重である。個性をもった1人1人を尊重するということだ。夫婦別姓を認めるべきただという考えも尊重するし、LGBTの人たちも差別せず、等しく幸せに生きる権利を有すると考えるのが、人権保障だし人権の尊重だ。人がそれぞれの考え方・価値観・宗教を持つことを最大限に尊重する、これは民主主義のイロハに属することだ。少数者の考えも尊重する−−−これがないと多数者の少数者に対する支配抑圧になってしまう。
 自民党改憲草案が述べる「人」とは、いろいろな価値観=世界観を持った個性的な存在である個人を否定する考え方だ。「公益という言葉」と「人という言葉」はコインの表裏の関係にある。個々人の幸せより、公益を重視しなさい、これこそが草案のいいたいことなのである。公益は、結局は国益だ。公益とは、陸軍と海軍を暴走に導いた国体と同族の概念である。国体は、戦前・戦中の日本をファシズムに導いた中核とも言える言葉なのである。個人より国家を優先するなら、それは全体主義すなわちファシズムである。
 安倍晋三の祖父である岸信介は、北一輝の信奉者である。北一輝とは、日本をファシズムに導いたイデオローグのリーダの1人である。つまり、岸信介は、A級戦犯であり、ファシストである。そのファシストの血が、安倍晋三という、教養もなく学もなのに信念だけは強く持っているというもっともたちの悪い政治家にも流れているのである。
 「国を守る!」そうではない。安倍晋三が目指しているのは、侵略戦争以外の何ものでもない。人類の戦争は、すべて防衛戦争の名の下に行われたのだ。武力では、平和は作れない。銃を向けておいて、「仲良くやろうぜ!」といって誰が信用するであろうか。日本国憲法第9条が果たした役割は、はてしなく大きい。自民党改憲派の人たちは、未だに太平洋戦争が侵略戦争であることを認めない。ドイツは戦後すぐに侵略戦争であることを認め、近隣諸国に謝罪した。反省の念を示したドイツと侵略を認めない日本では、国際的信用は段違いである。しかし、かろうじて信用されたきたのは、第9条の存在が大きいのである。戦争放棄、武装放棄を謳っているのは大変大きいのである。戦争放棄の条文がどれだけ、東アジアの人々に安心感を与えたかを考えて欲しい。
 もし本当に平和を構築したいなら、相手から信用されなければならない。武装放棄をして、平和になった国がある。一方で、武装で固めて銃乱射などに悩まされている国がある。武装を放棄した国とは日本であり、武装で固めている国とは、アメリカである。日本においては、普通の人は誰も銃を持っていない。アメリカ人は、ほとんどの人が自衛のための銃を持っている。どちらが平和を実現しているかは言うまでもないことである。銃で武装している限り、相手を信用することはできない。武器では、平和を構築することは出来ない。平和を作るには、日本国憲法第9条を世界に輸出するしかない、ということこそが真実だ。
 特定秘密保護法、安全保障法という悪法を作り、集団的自衛権へと突き進む自民党政権。そして、第9条を変えないと大変なことになると煽る安倍晋三。だが、だまされてはいけない。北朝鮮がミサイルを撃ち込む!−−−そんなことは、安倍晋三自身がほんの少しも信じてはいない。その証拠に、原発の周辺に1発たりとも、迎撃ミサイルを配備していないし、原発をどんどん稼働しようとしている。稼働中の原発にミサイルが命中すれば、福島原発事故どころの話ではない。日本中至る所住む場所がなくなってしまう。原発攻撃は、通常兵器に核並の破壊力を与える。
 根も葉もない作り話によって、かつては護憲派が圧倒していた世論は、改憲派が逆転する形勢を示している。今、立ち上がらなければならない。改憲阻止そして第9条を世界に広げなければ、平和も人権も守れない。
 1つ重要なことを言い忘れていた。自民党の改憲草案のもう一つの意図である新自由主義である。新自由主義とは、言い換えれば、小さな政府である。大きな政府の反対概念である。大きな政府とは、社会保障と社会福祉を積極的に行う政府である。小さな政府とは、これらを切り捨てた自己責任の社会である。20世紀の人権である社会権を否定する考え方である。機会さえ平等に与えれば、後は本人の努力の問題であり、自己責任であるという詭弁を臆面もなく語る面々がいるが、この社会が弱肉強食であり、資本主義社会であることを忘却しているというより、意図的に隠蔽している考え方だ。一方に富が集中し、一方に貧困があることは、誰の目にも明らかである。そもそも、資本主義社会は、労働搾取によって、ブルジョアジーが富を独占している社会だ。富の不平等を前提にする社会が、資本主義社会である。
 資本主義を自由主義とブルジョアジーは呼ぶが、それは支配階級のイデオロギーに他ならない。現実にあるのは、自由ではなく支配と抑圧だ。ブラック企業が跋扈しているといわれる。残業時間は、月々80時間を優に越えているのに、書類上は残業していないことになっている。過労死や過労による自殺が大きな問題になっている。ブラック企業とマスコミは伝えるが、資本主義における企業は、利潤追求こそがすべてであり、ブラックであることは企業の本質だ。ブラック企業とは、同じことを2重に述べている重複表現である。とことんまで搾取し、抑圧し支配している。人が自由になるためには、平等が実現されていなければならないという極めて当然の真理を、自由主義というイデオロギーは忘却している。富が何人にも配分され、労働条件が守られなければ、人は決して自由になれない。夜中の11時頃まで残業して、後は泥のように眠り、次の日は疲れた体にむち打ち早朝に出勤するだけだ。いったいどこに自由があるのであろうか。本当にあるのは資本家の支配と労働者の隷従だ。ほんの少しでも不満をいえばリストラされるだけだ。資本主義は、自由の反対概念であり支配・隷従である、これが自由主義というイデオロギーの真実の姿であり、真理なのである。
 新自由主義の新とは、自由主義が再度唱えられるからである。自由主義とは、アダム・スミスの唱える考え方だ。アダム・スミスは主著「国富論」で、政府が経済に介入せずに、市場に任せれば、経済は予定調和的に無限に発展していくと主張している。市場メカニズムに任せれば、神の見えざる手によって、需要と供給が調整され、経済は最適状態で発展していく、とする考え方だ。経済をフリーにするから、自由主義というわけだ。この自由主義が、20世紀になり破綻したことは周知の事実である。1929年の世界恐慌と、それに基づく史上空前の世界不況によってである。1917年に史上初めての社会主義政権が登場して、積極的に社会保障政策や社会福祉政策を進めていた背景もあって、資本主義諸国は、社会権の思想を渋々ながら認めざるを得なかったのである。自由主義に変わり、国家が経済に積極的に関わり、社会保障や社会福祉を進めていく国家資本主義の成立である。国家資本主義は、ブルジョアイデオロギーでは、大きな政府と呼ばれる。社会権とは、自由権を保障するだけでは、人々は幸せにはなれず、健康で文化的な生活を営むためには、国が積極的に社会保障や社会福祉を展開して、人権を保障しなければならないという考え方だ。新自由主義は、すでに破綻している自由主義を再度主張するものである。夢をもう一度というわけであるが、自由主義が成立すると考えるのは幻想でしかない。国家資本主義が成立せざるを得なった経済的条件と何ら変わっていないからである。そして、リーマン・ショックが新自由主義の終焉を証明したというのが歴史の真実である。
 今、3つの貧困が問題になっている。子供の貧困、女性の貧困、高齢者の貧困だ。子供は6人に一人が貧困に苦しんでいるという。給食費が支払えず、給食を食べられない児童、逆に、1日の食事が学校の給食のみの児童、1ヶ月に数回しか風呂には入れずシラミが湧き、いじめられる児童などが、6人に1人もいる現状がある。年金が削られ、高齢者の貧困も深刻である。月々6万円の収入しかなく、3度の食事でさえままならなず、光熱費の支払いでさえ滞る。社会保障制度は、元々は富の再配分の意味を持っていた。一極に集中する富を再配分していた。累進課税制も同じ役割を担っていた。社会保障も社会福祉も累進課税も否定するのが、新自由主義だ。自己責任とは、弱者切り捨て以外の何ものでもないし、そもそも貧困の原因が搾取に基づいていることを忘却している考え方だ。
 機会が均等に与えらている!とんでもない妄言だ。裕福な家庭の子供たちは、小さいうちから学習塾に通い、家庭環境もよい。貧しい家は、塾にも通えないし、家庭環境も最悪である。当然裕福な家の子息は、高い学力を得て、偏差値の高い大学へと進学する。一方の貧困家庭の子供たちは、高い学力があったとしても、進学をあきらめなければならない。偏差値の高い大学を卒業した人たちは、高収入を得る。新しい家族を築き、その子供たちは恵まれた家庭環境の中で育ち、高い学力を得ていく。階級の再生産構造が、資本主義社会には最初からビルトインされているのである。富の蓄積と貧困の蓄積があったからこそ再配分としての社会保障制度や社会福祉制度があったのだ。自民党政権は、ブルジョアジーの欲望をむき出しに、赤裸々に、より富を独占するための政策を遂行している。派遣できる範囲の制限を外し、どの業種においても派遣できるように労働者派遣法を改悪したことによって、20代の2人に1人が非正規になり、全体でも3人に1人が非正規になっている。富の集積と貧困の集積が、今日極限まで押し進められている。
 公共の福祉という言葉が、自民党改憲草案では削られていることを思い出してほしい。これは、もちろん自民党改憲草案の本質がファシズムであることを示しているのであるが、もう一つの意図を明確に示している。社会保障と社会福祉の切り捨てである。労働者派遣法を改悪するなどの一連の政策と連なっている。
 憲法を改悪されてしまったら、福祉が切り捨てられ、平和と人権保障が破壊される。さらに、草案にある緊急事態条項は、人民主権=国民主権でさえ破壊するだろう。戦後民主主義と立憲主義の危機である。今立ち上がらなければならない。幸いなことに、私のサイト=ホームページは多い日には、1日に2万近いアクセスがある。多い日には、延べ2万人が閲覧してくださっているということである。退職までの1年半、憲法や政治思想の研究に専心して、憲法擁護の論文を立て続けにサイトに掲載していくことによって、憲法を守るための礎にするとを断固として決意する!




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